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人間の成長と変化 part 3

  • Ryuta
  • Jul 15, 2015
  • 8 min read

前回に引き続き、クリスチャンとしての成長についてもうちょっと踏み込んでいきたいと思います。

前回はガラテア 5:22‐23にある「聖霊の実」について話しました。それが9のつの違った種類の実があるのではなく、1つの実にすべて9つ要素が入っているというこ と、結果的に一つの要素だけ成長させたりはできず、すべて一緒に成長させているのが本物ということ。また世の中のシステムで、別の形で似た要素を生み出せ てしまうこともにも触れました。

今回は、一つひとつが本来どういう品性なのか、そしてそれに対して世の中や宗教が作り出している、偽物や反発する要素を見ていきたいと思います。今回はティム・ケラー先生のガラテアや他の神学者たちのコメンタリーを元にしています。

まずは「愛」(アガぺ)。 これはギリシャ語では、あの有名な「アガぺ」です。この愛は、愛を与える人から「与え返 してもらえる」から好意をもつのではなく、ただその人に為に、その人の利益の為に自分を捨て、その人に仕えることです。この愛の反対は、「恐れ」であり、 その恐れによって自己防衛に入ります。自分を守るためや自分の利益の為に他人を結果的に利用します。 この愛の代理(偽物)となってしまっている世 の中や宗教で機能しているものは、「自己中心的な愛情」です。この偽物の愛で機能している場合、その相手が自分に尽くしてくれたり、良く思っていてくれた り、人生で利点や得るものがあるから、その人を好きになるということをします。ある意味、「利益」がなくなった途端、関係を切り、冷たくなります。

喜び(カーラ) これは、神様の存在の素晴らしさと美しさを見つめ、その存在がただ嬉しく喜ばしいために受け取る品性です。この喜びの反対は「絶望」であり、喜ばしい存在が何もない状態です。 この偽物は、「祝福を体験した時だけに上機嫌になる」ことです。要は祝福をあたえる神そのものの存在を喜ぶのではなく、祝福そのもの自体を喜んでいることです。創造主ではなく、創造主が与えるものを喜びとしてしまうことです。

平安(アイリーン) これは、神様の絶対なる知恵と支配に自信を持ち、そこに安息(rest)を見つける ことです。結果的に自分で自分の人生をコントロールしなくてはという不安はなくなります。要はこの逆は、心配と不安です。本物の平安の偽物となってしまう 代わりは、「気にしない」、「無視」、「興味を示さない」ということです。そうすることにより一時的にストレスを軽減できるからです。思い出してくださ い。9のつすべてが一緒に機能しているのが本物です。

例えば、ある苦手な人に対して、自分に一時的な平安を持たせるために「気にしない」や「無視」という方法を用いているなら、自分の内に本物の「愛」も「平安」もないということです。なぜなら本当の愛は、相手を心底 「気にかける」からです。

イエスは「他人をラカ(バカ)と言う者は、地獄に行く危険がある」と言いましたが、実はこの「ラカ」は、「価値がない」という意味で、その人を無視 することで、「その人にはもう価値がない」としていることなのです。結果的に聖書では、無視(無関心)=人殺しです。心でその人を殺しているわけです。そ んなのは平安どころじゃないです。悪そのものです。喧嘩している夫婦はまだ希望があります。また気にかけているからです。無関心な関係はほぼ絶望的です。

忍耐強さ(マクロスーミア) これは、困難な状況や苦しみに、パ二くったり、投げ出さずに落ち着いて向き 合える品性です。この品性に対照的な感情は、神や周りの人に対して怒ったりイライラすることです。結局、神や人のせいにしているからです。この偽物は、 「皮肉的になる」ことであり、今向き合っている問題を小さく見ようとし、「気に欠けるのに値しない」という態度を取ることにより、「忍耐強い」というハッ タリを装うとします。でも結局は問題から逃げていることになります。

優しさ(クレストテス) これは、自分の自己防衛システムを解除し、傷つけられる状態でありながらも、相 手の為に「実践的に仕える」ということです。これは、自分の存在意義に対する揺るがない自信と安定からのみできることです。この反対となる要素は、「嫉 妬」です。相手が祝福されたとき、喜べないことです。「私に同じ祝福がないなら、アイツもそれを持つべきじゃない」という感情であり、ハッキリ言うと「心 の暴力」です。 この「優しさ」の偽物は、「巧みな慈善行為」です。相手に仕えることにより、自分が良い人間だと思われ称賛されるため、自分でそう思うためにする行動です。そして神や人に対して、自分には十分な価値があるんだと自分に思い込ませるためにそれをします。 誠実さ(アガソスーネ) 常 に誰にもどこでも、「同じ自分」でいるということです。要は本当の自分に対して忠実であることです。もちろんこの逆は、八方美人であり、偽物は偽善を装う 偽善者です。でも気を付けてほしいのは、常に自分の意見や真実を誰にでもどこでも愛なしに言うことではありません。言いたいことを言ってストレスを発散さ せるためや、自分を良く見せるための「誠実さ」ではないのです。ただ恵みにあって、救われている自分をしっかり持っている為、正直であり、裁かず、自分を 無理に良く見せたり作ろうとしないということです。

忠実さ(ピスティス) 忠誠心と勇気です。完全に自分の言動が一致していることです。 この反対 は、チャンスがある時だけ行動を起こすような人です。良い状況の時だけ、友達でいる人たちです。忠実さの代わりとなってしまう偽物は、「真実のない愛」で す。ただいつも優しくフレンドリーに振る舞い、真実や本当のことを言わない状態です。このような人は、他人の過ちに対して何も言わずに、人間関係での問題 を避けようとします。 また思い出して下さい。本当の愛、優しさ、忍耐強さ、さらに誠実さが機能しているなら、愛をもって真実を相手に伝えられるということです。

柔和(プラウトス)、英語ではGentleness これは、謙遜になることであり、「自分を忘れる」を 忘れるということです。相手を優先させることです。この反対は、「優越感」と「自己吸収」です。自分が他により優れていると思い、見下します。この偽物ま たはフェイクver.は、自分が劣っているという間違った謙遜の取り方です。謙遜であり同時に神にあって絶対な自信を持つことが、真のジェントルマンとい う男、また気品あふれた謙遜で自身のある女性ということです。

自制(エグクラテイア) これは、目の前の「緊急的」なことよりも、揺るがない優先順位をしっかり持って それに沿って生きれることです。衝動的、自制が聞かない状態ではないです。自制できない人は、優先順位がコロコロかわります。ある時は教会に来たり、急に 来なくなったりという状況です。安定性がない人生です。 この偽物が結構面白いです。それはプライドから来る「意志の力」です。他人や自分 の人生をコントロールしようとする衝動が原理で、自制しようというものです。またまた思い出してみてください。本当の自制は、謙遜も兼ね備えているので、 人に勝ろうとする意志から来る自制ではないのです。

どうでしょう? 自分は聖霊の実によって生きていると思いますか?

正直これらを見つめなおした時の、自分の最初の反応は、「全然だめじゃん!」って感じでした。

自分の人生の様々な分野で、「偽物」を駆使して、ただ自分のクリスチャンという宗教を生きているに過ぎないかもと思いました。でも、それが自然な反応かと思います。自分が「できている」と思ったらそれはできていない証拠です。

更に今まで経験してきた多くの人間関係や教会での人生ですらそうだと感じたこともあります。「恐れ」によって従わせ機能する教会システム。神の愛を 宣言し礼拝で歌っていながら、自分に合わない、従わない、出ていく人々には、「無視」、「無関心」、「絶交」などもするような極端に間違った愛の理解。他 人に対しての優越感と、人に勝とうとする「やる気」を利用しビジョンを奮い立たせようとする弟子訓練や生き方。「神から祝福があるから」と言い、それを受 け取り表面だけで装おうことで「喜び」を作ろうとする雰囲気づくりと生き方。自分は他より良いことをしている、リーダーシップを持っているんだというプラ イドから来る自制心。「自分が認められる」から忠実に「忠実」になろうとする仕え方。

見て分かるように、やろうと思えば、表面はキリスト教であり聖書的に見え、聖書箇所を使って説教しながら、中身は福音から遠く離れた、「偽物」の教 会や自分自身の信仰ですら作ることもできてしまうということです。結局、福音を他のものですり替えた、Counterfeit God(偽の神)を崇める宗教になってしまう危険性は、誰にでも、そしてどんな教会にもあります。

鍵は、まずそれに気づくことです。そしてこの聖霊の実ですら、イエスなしでは絶対に生み出せないということに気づくことです。上で書いたクオリー ティーをすべてを持ち、ただ神を愛し、自分の利益の為でなく、俺たち人間の利益の為に生きてくれた唯一の存在はイエスだけだからです。Part1に戻りま すが、その「健康さ」を俺たちに常に与え成長させてくれるのは、「福音」という種であり、神の国の知らせでありであり、神の文化であり、システムであり、 原則でだけです。

また言います。

「イエスの福音に戻ろう。」

ではまた次回に。


 
 
 
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