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考えさせる

昨晩、ニューヨークでの「教会開拓者達をトレーニングする」ためのトレーニングから無事帰ってきました。

今回のリーダーシップの学びは今まで経験してこなかったようなトレーニングだった。

大概セミナーや授業と言えば、偉大なリーダーや素晴らし い方法論やノウハウを知っている人物から、「インフォメーションを受け取る」またはできるだけダウンロードする形式がほとんどだった。聞いた情報を自分の ものにしようと努力するが、あくまで「情報」なので、現状を経験したり失敗しないと本当にその「情報」の意味が分からない場合がほとんどだ。

でも今回の違いは、ただ情報を受け取るのではなく、自分で経験し考え、様々な状況や場合によって対応し戦略や解決を「生み出す」ことができるようになるためのトレーニングだった。

例えば、「はい。この9本の釘をこの鉄の板の上に重ねて上においてくださいね」と言われ、チームごとでどのチームが早くそれを達成できるかをいきな りやらされた。何の指示もなく、はいどうぞ。みんな困惑しながら10分後、「はい。終了~」。何のトレーニングかと思いながら、どのチームも達成できてい ない。「当たり前だ~。9本の釘を重ねて上に置くことなんてできないだろ~。」と思っていたら、実はそれがトレーニングの目的ではなかった。結局、そのあ とに聞かれたのは、「チームで誰が勝手に仕切っていた?」、「誰が意見を言ったり、また誰がただ黙って人任せにしていた?」などの質問。要は、その場で誰 がどのような性格で、どんなリーダータイプがいて、誰がやる気ないなどの状況判断力の例だった。その判断から開拓者たちのチームを編成したりする学びだ。 要は経験していることを分析し、判断し、そして戦略を練る。なぜなら実際にしていることから、人間はもろに性格がでるし、くだらないゲームでもそれは明ら かになる。言ってしまえば「遊び」からでも十分なほどの自分リーダーたちの性格や能力の分析と情報収集ができるわけだ。

でも俺たちはこのような考えることに慣れていないことにも気づいた。特に日本は教育そのものが、ただ情報を得て学ぶことを中心に構成されているの で、「自分で物事を考えて決断」できない世代になってきている。これは今の教会現状でも同じだと思う。日本人は真面目なので、「言われた」ことを真面目に やる。疑問にも思わず、思っていても質問すらしない。なので、日本人は何(what)とどのように(how)は大概わかるが、WHY(なぜ)そのようにし ているのか、またその「なぜ(WHY)」から何(WHAT)を生み出し、どうやって戦略(HOW)を考えていいのかわからないのだ。

これは良い面もあるが、危険な要素もある。上のリーダーが良ければ、一気に良い方向に向かうだろう。でも悪いリーダーだったら?一気に悪い方向へ皆流される。だから危ない組織やカルト化する団体も日本に多い。

話しを戻そう。このようなトレーニングは、「考えさせる」ことがすごくできると感じた。そしてこれからの日本の教会を開拓していく中でかなり重要な スキルだ。日本の教会は今まで海外に教わってきたことを忠実にこなしてきた。あそこの国の成功している~教会のスタイル。~教会の戦略。~教会の祈り、 ワーシップ。それをちゃんとやってきたが、時代の流れと変化の速さに追いついていけず止まってしまっていることも感じる。それ以前に福音というものを日本 に「文脈化」させることもほとんどしてこなかった。だから多くのリーダー達が何をどうしてよいかわからない状況だと感じる。

今回、トレーニングの後の週末に、3つの教会の礼拝に出席することができた。その一つはRedeemer Presbyterian Church NYCだった。JAZZスタイルの音楽の礼拝と聞いていたのですごく興味があった。礼拝の場所に入った瞬間思ったことは、「え?ごく普通の伝統的な教 会」。建物は綺麗だが、特に何の飾りもクールな要素もなし。ライトも明るく演出もない。でも曲が始まった瞬間、「あ。ニューヨーク?!」。そうJAZZと 言えばニューヨークの雰囲気。そして思ったのは、「この忙しく、騒音が激しい都市ですごく落ち着く・・・」。自然と歌っている讃美歌の言葉が、静かに心に 入ってくる。朝はダイナミックな賛美のヒルソング。礼拝後には興奮と意欲の高まりがあるが、ここでは逆に癒され心が透かされ、そして涙が出る感じだった。 「もしかしたら大都会でこの安息もとてつもなく大切なのでは?」とも思った。ある意味、ヒルソングはオーストラリアという文化で生み出したモダンな賛美ス タイルをNYCに文脈化させたものだ。でもREDEEMERは、独自の伝統的なスタイルからうまくカッコ良く、NYCの文化に合わせて様々な福音の伝え方 をしているように思える。

そして更に、思った、「日本人の心に届く福音の伝え方をもっと突き止めたい」と。

その為には、もっと「福音」をとことん理解し、そして自分の住む文化において柔軟に考えることが大切だと思い知らされた。

正直言うと、俺たちはそれぞれの生まれ育った「クリスチャンの環境」だけで物事を見ているように思える。それがモダンなスタイルの教会であれ伝統的 であれ、拘ってしまった瞬間にその作り出した文化に固着してしまう。そして仕舞には、その自分の経験や文化だけが正当で唯一だと言う態度になっていってし まう。その瞬間、「新しいもの」が一瞬でで「古く」になる。本来、「福音という神様の文化」だけが俺たちクリスチャンの「基準」であり文化なのに、自分の 経験と好みが、福音よりも強くなってしまったとき、「宗教」が生まれてしまう。「福音」が「どんな文化にも浸透し順応すると同時に、間違った要素を変えて くれる」ことを忘れてしまうのだ。

でも「福音」の土台をしっかり持った時に、世界はもっと広くなる。もっとクリエイティブになる。もっと自分と自分の文化を好きになる、そして同時に自分と自分の文化の弱さも正直に受け止められる。もっと多くの意見やスタイルの人々と「教会」ができるようになる。

これからの日本が本当に楽しみだ。日本を「イエスの福音」によって変えていこう。

ではまた。


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