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教会開拓トレーニング:CONTEXTULIZATION

お久しぶりです。

ここ1カ月間ずっと教会開拓者たちの為のトレーニングをしていました。

今回は学んだ内容の一部を少しシェアしたいと思います。

このトレーニングは香港、日本、シンガポールの各国で、アジアを中心とした開拓者達を15人ほど集め、福音を軸とし神学的にも実践的にも健康的な教会をどのように建てて行くかを学びました。

今までこのブログでも、「福音」を中心としたメッセージや聖書の読み方などに触れてきましたが、このトレーニングでは、牧師としての結婚生活、弟子訓練、伝道、祈り、賛美などすべての教会の分野で、福音を表し中心としていくのかをしっかり学ばされました。

一言で感想を言うと、教会開拓や牧会には「重大な責任が伴う」という事です。これらの働きをしっかりこなしていくには、牧師やリーダー達自身が、福 音を心底理解し、福音にトコトン変えられていなければ不可能な事だと感じます。これらのことを牧師やリーダー達がしっかり理解していないが為に、今の現代 にあまりにも未熟な教会、リーダー達のビジョンだけに振り回されている教会、またはコントロールが過ぎる教会、または逆に統制のない自由すぎる教会ができ てしまっているように感じます。福音を軸をすることは、それらのすべてに置いてバランスをもたらしてくれるように感じました。

学んだことはあまりにも膨大な量なので、ここだけではシェアできないですが、ほんの少し書きたいと思います。

まず学びの中で多く時間を費やしたことは、CONTEXTUALIZATIONという内容でした。日本語で説明すると、福音をどうやって、教会が開 拓される国や都市、そして文化に住む人々に分かりやすく、「躓き」を可能な限り減らして彼らに心に受け入れてもらうかの作業です。聖書でもこれは明確で、 パウロや多くの使徒たちもしっかり様々な文化に合わせて福音を語ってきました。究極的に言うと、イエスの存在そのものが CONTEXTUALIZATIONです。「神が人となって、私たちの中に住み、そして生き、私たちを救った」。これ以上の説明はいらないと思います。

でも現実的には、多くの牧師やリーダー達が今まで「当たり前」と思っている「キリスト教 Christianity」をそのまま新しい環境や国に持ってこようとして来ました。日本では歴史的にもそうですが、アメリカの教会のあり方をそのまま 持ってきたように捉えられています。結果、一般的に日本人は、「キリスト教=西洋の宗教」としか見ていません。それから何度も、世界の教会の「流行」に 沿って、韓国の教会のやり方、アメリカの大きな成功した教会のやり方、またオーストラリアのやり方、シンガポールのやり方、中国の小グループのやり方な ど、様々な「やり方」を持ってこようとしました。でも正直、実際に日本の文化に合わせ、日本人により、日本人の心に本当の意味で届いたかというと必ずしも そうではなかったと感じています。それらのことを学んだリーダー達も、学んだことをうまく理解し、日本に合う形で変化させてきたかというとそうではありま せん。もちろんそれらの海外からの影響はすばらしく、多くの事を学ばされました。しかし、それらをしっかり「TRANSLATE(翻訳)」して CONTEXTULIZEしてこなかったように感じます。

シンガポールや香港で、マクドナルドに何度か行きました。そこで面白いと思ったには、その国に合ったメニューがあることです。日本のマックでも日本 独特のバーガーがあります。シンガポールでは、チキンライス定食がありました。同じマックのブランドであり、同じ方針のもとにやっていますが、文化や人種 に適応したやり方を取っています。だからマックは、「不健康な食べ物」にも関わらず成功しています。

今回一緒に勉強した開拓者達の中には何人かのインド人の方がいました。彼らと教会の礼拝の場所やスタイルについて話していました。その時、「OO+ の教会ではライブハウスを使って礼拝をすることになった」と伝えたら、彼らはそのような場所やスタイルではインド人達の反応はかなり違ってくると教えてく れました。なぜかと言うと、インド人は元から宗教的な国民なので、教会や神殿、モスクに行くときは、「神聖な場所に行く」という態度で行くので、ライブハ ウスのような環境に連れて行き、礼拝を紹介してしまったら、むしろクリスチャンでなくとも、「神を冒涜しているのか」という批判も受ける可能性が高いと言 われました。日本や海外では、若者に受け入れられ新鮮な戦略が、逆効果なのです。これもまた文化の違いであり、全く違うアプローチです。ジャカルタという 都市では、あまりにも渋滞があるので、なかなかうまく時間に合わせて、礼拝を始めたり、イベントを開くことが困難なようです。それぞれの文化でチャンレジ や課題があります。シンガポールでは、毎月教会のメッセージ内容を警察に伝え、許可を得なければ礼拝をできません(中には違法的にやっている多くの教会も ありますが)。それぞれの文化によって、かなり「やり方」が違います。これを見ると、ある特定の都市で成功している教会のフランチャイズを、東京にそのま ま持ってきても適用できないのは明確です。ある程度成功しても限界既にが見えるし、また時代ともに低下していってしまうことがほとんどです。特に東京は変 化が激しいからです。

これらの事は、ビジネスの世界では当たり前の様に考慮し、そして戦略を練られています。聖書でも先ほど言ったように、パウロも当たり前の様に適応さ せています。でもなぜか多くの現代のクリスチャンはそれをしようとしません。問題は結局、自分の育った「クリスチャンの世界感」から抜け出せない所があり ます、そしてその世界観が当たり前すぎて、それがキリスト教の世界のすべてであり、自分のその世界観自体が「ある特定の文化」となってしまっていることに 気づいていないことが問題です。

例えば、私自身がクリスチャンとして成長してきた環境は、イギリスでのペンテコステ派、カリスマ派など、またはヒルソングなどの環境を中心に過ごしてきました。彼らの考え方や宗派の独特の言葉や、神学をも吸収してそれがすべて正しいとずっと思い成長してきました。

で も今回、長老派の中心のクリスチャンの人々と過ごし、学ぶ上で気づかされた事や、自分が正しいと思っていたことに間違いがあることなど気づきました。もち ろんすべてではないですが、彼らがなぜ違う考え方をするのかなど考えるチャンスとなりました。また彼らも逆に、私のようなバックグラウンドを持ったクリス チャンから学んだことがあるようです。

じゃ、どのような文化が中立的であり、また健康的なのでしょうか?それは「福音」という神様の文化そのものです。福音はどんな文化でも、同時に「批判」し、そして「賞賛」します。

あ る文化に対して悪いところは、悪いと言えます。同時に、その文化に良いところがあれば、良いと言います。例えば日本では、「恥と尊敬」の文化です。日本人 は、「恥」避けるため、悪いことだと思っていても極端に周りと同調しようとします。人の目を気にして、真実を語ることに躊躇します。「福音」はこれに対し て、「イエスの恵みにより恥は取り去られたのだから、自信を持って真実を言いなさい」という事が出来ます。逆に、日本は尊敬し人々に仕えようとする文化が あります。これに対しては、「イエスは人々に仕え、彼らを救うために来たのだから同じように、引き続き仕えましょう」と日本人の良いところを励ますことも 出来ます。

福音を中心とした教会は、これらのことをうまく両立し、ある特定の「海外のスタイル」を押し付けるのではなく、それぞれの都市やコミュニティーに 合った教会を築きあげることができます。ようは、東京と大阪の教会が全く違ったスタイルやアプローチで良いという事です。むしろ、全く同じとなってしまっ ている方が「不自然」ということです。そこにいる人々や文化が違うからです。

これらの見方や視点は、「自分の持っている文化」によって大きく左右されてしまいます。もしあるクリスチャンが世の中や自分の街を単なる「敵」とし てしか見ていないのなら、その人が開拓する教会は、完全に世の中から孤立します。逆に世の中の可能性を見て、「神様もその町を愛し救おうとしている」と考 えられるクリスチャンは、その思いに沿った教会を建てて行くと思います。旧約聖書では、バビロニアの支配下にいたイスラエル人たちに対して神様はこう言い ました、「その町の為に祈り、影響を与えて行け」と。敵対するようには言いませんでした。現代の私たちも、同じような立場にあります、クリスチャンでない 国の中に住んで生きています。見て分かるように、自分の持っている神学によって自分の周りに対する環境が変わってしまうことが分かると思います。皆さんは どんな考えですが?鍵は、自分の強すぎる「文化」を見直すことです。魚は水の中にいることは分かりません。水が当たり前だからです。自分の文化も時に、私 たちを盲目としてしまいます。そしてそれによって極端な神学的な判断にしてしまいます。でも福音がそこから抜け出させてくれると思います。

今までされてこなかった日本人に心底理解できる、「福音」の伝え方ができれば良いと本当に思い、そしてその為に努力していかなければならないと思います。

今回のCONTEXTULIZATIONの内容は、本当にほんの一部です。教会やメッセージ、またブログで機会があればもっとシェアしていければと思います。

ではまた!


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