福音を土台としたコミュニティー前回のダビデとヨナタンの友情を軸とした延長線のトピックになりますが、教会というコミュニティーがどういうことなのかシェアしていきたいと思います。うちの教会でも今一番教えられ、フォーカスされ、チャレンジを受けている内容です。 キ...
真の友情(ダビデとヨナタン)引き続き、前回のダビデのストーリーの中から、聖書的な友情について書いていきたいと思います。前回のブログの内容を確認してから今回の内容を読んでいただくと分かりやすいと思います。3週間前にも同じようなメッセージをしたので、時間があれば聞いて見て下さいね。 ダ...
嫉妬と妬み2週間ほど前の教会のメッセージとなりますが、凄く重要な内容であった為、フィードバックも多く、ブログにもこの概念を載せておくべきだと思いました。 今 回はダビデとサウルの関係、そしてなぜサウル王が神から油注ぎ(祝福され使命を与えられた)を受けていたにも関わらず、どんどん悪に染...
本当の赦し以前にもこの内容は書き ましたが、最近自分にとって再確認させられているのが、聖書的な「本当の赦し」の概念です。私が感じるに、「赦し」という概念は、キリストの福音のメッ セージの中核でもあると同時に、神学的にズレて理解してしまうと一番誤解され、間違って教えられてしまうことだと...
赦される罪と赦されない罪?引き続き、「悔い改める」ことの必要性とライフスタイルについて書いていきたいと思います。皆さんがクリスチャンとしてしばらく生きているなら、「聖霊に対する罪・冒涜(」という表現はご存知かと思います。 (マルコ3:28-29) ...
自分自身の価値お久しぶりです。 教会も新しい場所に移ることができ、やっと落ち着き、またブログを書ける時間が取れました。今回は比較的短いです(笑) 今回はマタイ10:39・マルコ8:35をもとに、最近考えていることや教会のメッセージの中心となっていることをシェアしたいと思う。...
考えさせる昨晩、ニューヨークでの「教会開拓者達をトレーニングする」ためのトレーニングから無事帰ってきました。 今回のリーダーシップの学びは今まで経験してこなかったようなトレーニングだった。 大概セミナーや授業と言えば、偉大なリーダーや素晴らし...
悔い改めるこの概念は、キリスト教 の教えの中でも、一番勘違いされ、または嫌われ、極端にまたは間違って理解されている概念だと思います。私たちにとって、映画やメディアの影響もあり、悔 い改めのイメージはカトリック教徒が懺悔をするようなことを想像します。しかし、そのステレオタイプのイメージ...
聖書的な聖書の読み方 (福音中心とした聖書の捉え方)以前、OO+教会を開拓するに当たって自分の中で多くのことを変えさせられ、考えさせられたという事をことをシェアさせて頂いた。 その中でも自分にとって、ある意味一番重要な理解の変化の一つを今日は分かち合いたいと思う。 それは「聖書の読み方と理解の仕方」だ。...
福音という教会の土台前回に引き続き教会開拓の為にかなり神様に自分自身が修正させられた価値観の一つ。 日々、神様はどんな教会をこの東京で日本で建てようとしているのかを考える中、いつもこの聖書の言葉が頭に響く。 「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイの福音書16:18)...